「男らしく」「女らしく」という期待と、自分が表現したいもの。その間で葛藤してきた僕が、アンドロジニー(心理的両性具有)という考え方を知って感じたことを書きます。
この記事では、性別変更までの経緯ではなく、その後も続いている「自分はどう生きたいのか」という問いに目を向けてみたいと思います。
性別を変更した後も残った、役割への葛藤
僕が女性から男性に戸籍上の性別を変更(修正)した後、社会で生きていく中で感じている感覚が「男になれない男、女になれない女」というものです。
僕の感覚として、伝統的な「男らしさ・女らしさ」のイメージが、学童期・思春期の教育の背景に常に存在していました。明確な言葉や態度だけでなく、社会的な空気によって、それぞれの性別に応じた特性に沿っていくよう誘導されている気がします。
僕の場合は、実現したかった男性的とされる特性を表現しても、求められるのは女性的とされる特性でした。常に、表現したいものと求められているものの間で葛藤していたように思います。
アンドロジニーという考え方に出会って
調べていく中で興味を持ったのが、アンドロジニー(心理的両性具有)という概念です。心理的な特性について、従来「男性的」「女性的」とされてきた両方の側面を持つことを指します。
ここでは、外見や身体の特徴ではなく、心理的な特性の話として取り上げています。また、こうした特性と、自分の性別をどう認識するかは分けて考えたいと思います。
僕がこの考え方から受け取ったのは、「人間としての能力を、性別という枠で制限しなくてもいいのではないか」ということでした。
「男ならこう、女ならこう」をいったん外に置く
男ならこう、女ならこう、という固定観念にとらわれることなく、自分の好みや必要なスキルに合わせて選ぶ。すでに備わっているものを強めたり、社会で役立つ力として表現したりできる、ということだと感じています。
誰かを思いやることも、自分で決めて行動することも、僕は性別で使い分ける必要はないと思います。必要なときに必要な力を選べれば、生き方の幅が広がるのではないでしょうか。
そのとき、それらの特性は「男性的」「女性的」という言葉ではなく、「人間的」なものとして捉えられるようになるのかもしれません。
僕を支えるのは「どう生きたいのか」という軸
かつての僕と同じように、自分の望む性と周囲から求められる役割の間で葛藤している方がいるなら、自分はどういう特性を持っていて、どんな力を身につけたいのか、考えてみるのも一つの手がかりになると思います。
それらが世間一般で「男性的」「女性的」と言われていることは、いったん外に置いておいて。
自分がどのような人間として生きたいかを考えることと、自分の性別について考えること。その両方を大切にしていいのだと、僕は思います。
僕の経験上、「どう生きたいのか」が、人生において自分を支える軸になります。
それではまた。
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