幼い頃の性別違和から、就職後の治療、戸籍上の性別変更へ。この記事では、僕が歩んできた道と、男性として生活する今も感じていることを振り返ります。
自分の感覚を言葉にするまでには、長い時間がかかりました。すんなりと答えが見つかったわけではありません。
幼い頃から、自分を女の子だと感じていなかった。けれど、その感覚を説明する言葉を持っていたわけでもありません。周囲に合わせながら生活し、進学し、やがて社会へ出る時期になって、ようやく「女性として、この先の人生を生き続けることはできない」と、はっきり感じるようになりました。
この記事では、FTM(女性から男性)のトランスジェンダー当事者である僕が、幼少期の感覚から治療、戸籍上の性別変更、そして今も感じていることを、少しずつ振り返ってみたいと思います。
幼い頃から、自分を「女の子」だと思っていなかった
幼い頃の僕は、自分が「女の子」の側にいるとは思っていませんでした。
女性は、自分とは別の存在であり、どちらかといえば守る対象のように感じていました。「女の子なんだから」と言われても、それは自分に向けられた話ではないように聞こえました。反発するというより、「なぜ周りの人は、自分が女の子ではないことに気づかないのだろう」と感じていました。
身体についても、「本来あるはずのものがない」という感覚がありました。ただ、当時はそれが何を意味するのか分かりません。子どもの僕には、周囲へ説明するための知識も言葉もありませんでした。
違和感があっても、生活は続きます。学校では周囲に合わせ、「求められる自分」でいようとしました。自分の感覚よりも、親や学校、社会が求める役割に適応することを優先していたのだと思います。今振り返ると、自分の気持ちを確かめる余裕は、あまりなかったのかもしれません。
「違和感」だけでは説明できなかった苦しさ
性別に対する違和感は、いつも分かりやすい苦痛として現れるとは限りません。
僕の場合、自分の内側にある感覚と、周囲から女性として扱われる現実が、長い間かみ合いませんでした。それでも日常生活を送るためには、そのずれをいったん脇へ置く必要がありました。
だからといって、すぐに「この苦しさの中心にあるのは性別のことだ」と整理できたわけでもありません。周囲に適応できているように見える時期があっても、違和感がなくなったわけではなく、いったん見ないようにして、毎日を過ごしていたのだと思います。
「つらいなら、もっと早く気づくはず」「子どもの頃から強く主張するはず」と考える人もいるかもしれません。しかし、本人が違和感を言葉にできることと、違和感そのものが存在することは別です。安全に話せる環境がなければ、自分の感覚を説明するよりも、周囲に合わせることを選ぶ人もいます。

大学卒業を前に、女性として社会に出る現実が迫った
僕にとって大きな転機になったのは、大学卒業が近づき、社会人として生きる将来が少しずつ現実になってきたことでした。
学生の間だけではなく、これから何十年も女性として認識され、女性として扱われながら働き、生活していく。その未来を具体的に想像したとき、僕は「それは受け入れられない」とはっきり感じました。
それまで曖昧だった苦しさが、将来の問題として目の前に現れたように感じました。
これは、ある日突然別の人間になったということではありません。幼い頃から存在していた感覚に、ようやく言葉と現実が追いついたのだと思います。
就職後、手術と治療、戸籍変更へ
就職して約1年半が経った頃、僕は乳腺摘出手術を受けました。その後も必要な治療を続け、26歳頃に戸籍上の性別を変更しました。
治療や手術は、誰にとっても同じ道筋ではありません。望む医療も、必要と感じる支援も、生活上の優先順位も人によって異なります。僕にとっては、自分の身体と社会的な立場を、自分の認識に近づけていくために必要な選択でした。
手術や治療、戸籍変更を経て、僕は男性として生活しています。それは僕にとって、自分の感覚を大切にしながら生きていくための選択でした。
一方で、手術や戸籍変更をすれば、すべての悩みが消えるわけではありませんでした。
性別変更後も残った「どう見られるか」という不安
今も、人から女性と判断されるのではないか、男性的ではないと思われるのではないか、という不安が完全になくなったわけではありません。
体つきや顔立ちなど、自分では簡単に変えられない部分が気になることもあります。対面の場では、相手の視線や反応から「性別を判別されているのではないか」と身構えることがあります。オンラインでは不安が和らぐ一方、外へ出て人と関わる場面では、身体が緊張することもあります。
周りから見ると、戸籍変更は一つの「ゴール」に見えるかもしれません。でも僕の場合は、その後にも向き合うことがありました。過去をどのように捉えるか、身体との関係をどう築くか、人からどう見られるかという不安とどう付き合うか。性別移行後にも、考え続けることがあります。

過去の自分を、無理に「女性だった自分」として肯定しなくていい
僕は、女性として過ごしていた時期の自分を、すぐに肯定できるわけではありません。
「過去も含めて全部好きになろう」「女性だった自分も受け入れよう」と言われても、その言葉が苦しく感じられることがあります。過去を無理に好きになろうとすると、かえって苦しくなることもあります。
あの頃の僕は、その環境で生きていくために、周りから求められる役割に一生懸命合わせていた。そんなふうに捉えてみることも、自分を理解する一つの手がかりになるのかもしれません。
適応していた自分は、偽物だったわけでも、弱かったわけでもありません。言葉も選択肢も十分ではない中で、生活を続けるために必要な方法を取っていたのだと思います。
過去の自分を好きになれなくても、あの頃の自分が、どうにか毎日を過ごして今につないでくれた。そのことから、少しずつ考えてみてもいいのだと思います。僕にとっての自己受容は、そこから始まるのかもしれません。
性別違和の現れ方は、一人ひとり違う
この記事では、自分の経験を振り返る言葉として「性同一性障害」を使っています。ただ、僕一人の経験だけで、ほかの人の気持ちや歩んできた道を説明できるわけではありません。
幼い頃から強く主張する人もいれば、社会へ出る時期になって初めて違和感の大きさに気づく人もいます。医療的な治療を望む人も、望まない人もいます。戸籍変更を目指す人も、そうでない人もいます。
僕の経験は、当事者全員を代表するものではありません。ただ、「子どもの頃には説明できなかった」「周囲に合わせられていたから、自分でも深刻さに気づきにくかった」という人がいることは伝えたいと思います。
もし今、自分の性別についてうまく説明できずにいる人がいるなら、すぐに答えを出せなくても、その感覚までなかったことにしなくていいのだと、僕は思います。言葉になる前の違和感にも、その人にとっての意味があります。
そして周囲の人には、結論を急がせる前に、本人が安心して自分の気持ちを確かめられる時間を、大切にしてもらえたらうれしいです。
僕は長い時間をかけて、社会から求められる自分と、自分の内側の感覚とのずれを理解してきました。今もすべてを受け入れられたわけではありません。それでも、自分の経験を自分の言葉で捉え直すことは、「自分として生きる」ための一歩になるのだと思います。焦らずに、これからも自分のペースで考えていきたいです。
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※本文中の自然画像は、AIで生成したイメージです。

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